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2006年7月 9日 (日)

セレンディピティの存在価値

Ooji 朝早く起きたので、オオジシギを見に西那須野まで出かけた。朝5時集合というのでは誰も来ないと思いきや15人くらい集まっている。オオジシギはここらでは戦場ヶ原にしか居ないものと思っていたが、山でなくても条件さえ良ければ繁殖するようだ。以前は宇都宮にも出没したと説明してくれた。
4時に出てくるほどのものではない、と思いながら、9時までなら雨が降らないし、9時までに戻れば他の用は足せる、それにしてはちょっとした非日常、というのを期待していた。15人も集まるようではあまり非日常とはいえない、単に朝早いだけだ。それに牧場は5時から動き出している。これでは奥日光に出かけた方が良かったか、と若干の後悔もかすめる。

牧場を一巡りしてともかく予定したようにオオジシギが飛び交い木の上にとまる姿も しかと見ることが出来た。
でもそれだけだった。

セレンディピティという言葉がある。もともとは童話で、セイロンの3人の王子が旅すがら自分たちの求めていたものではないものに出会い偶然の出会いが結果として王子達に幸運をもたらした、という話からでてきたもので、偶然をうまく使って新しい道を切り開いていくことを指している。
捜し物をしていると探しているものはでてこなくて、別の面白いものがみつかり、本なんかがでてくるとつい読みふけってしまう、という良くあるあの経験に通じている。

時々セレンディピティをしかけたくなる。でも今朝のは失敗。

仕掛けてうまくいくとは限らないというのが、セレンディピティそのものの存在価値のような気もする。

雲のようにふわふわと風に任せて漂う感じとは違って、時々棹さすような感触が、偶然をもたらすのは確かなんだが。

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